遠い夜の本たち

未邦訳の英語の本について書いています

大人の『秘密の花園』は成功しない——Austyn Wohlers, 『Hothouse Bloom』

 Austyn Wohlers(オースティン・ウォーラーズ)は1996年生まれのアトランタ出身の作家。ミュージシャンとしても活動していて、彼女の作ったアンビエント音楽をYouTubeで視聴することができる。多くのアメリカ南部の作家の本を手がけるHub City Pressから2025年に本作が出版された。

 小説のタイトルを日本語にするとすれば、「温室の花」、それも「温室育ちの」という意味合いをふくむものだろうか。仲がけっしてよいとは言えなかった祖父ジョー(祖父だけではなく、アンナの親族はみなあたたかく関わりあっているわけではないことが窺える)から相続した果樹園を主人公のアンナが引き継ぎ、そこでりんごを栽培する。アンナは画家になろうと絵を描いていた時期もあったが、どうやら挫折したようだということが読んでいるうちにわかる。

 果樹園はパーマカルチャーという考え方、パーマネント+アグリカルチャー(永続的+農業)に由来するものに基づき、循環型で持続可能性のある生態系を目指して作られている。それは祖父が理想としていた、農薬などをできるだけ使わず、動植物で解決できることは解決するというかたちであり、アンナは近所に住む酪農を営むギルとタマラという夫婦に祖父のやっていたことを教わり、果樹園でりんごを育てていくことになる。

 こう説明すると、疲れた主人公が地元のひとびとの力を借りてなんとか自然に立ち向かい、そして癒されていく……というような、バーネット『秘密の花園』的な流れを想像するけれど、この小説ではそんなにうまくはいかない。少女ではなく20代後半か30歳近いことが察されるアンナは画家になるという野心や人間関係に疲れ、自然と神秘的な一体化を求め、とにかく今の自分の状態から楽になろう、楽になろうとしている。彼女は逃避的なエネルギーに満ちていて、祖父から果樹園とある程度の費用を譲り受けているのもあって、採算が取れないが牧場での生活を送るために屠殺の仕事もするタマラから見るとまさに「温室育ち」の甘えた女にしか映らない。

 さまざまな種類のりんご、生い茂る植物たち、タマラからもらい受けた犬、果樹園を襲撃しにくると噂の熊、そうした自然の中でひとときは安寧を感じるアンナだが、友人のヤンという作家志望の男が——彼はノマド的に、知人の家を渡り歩いて暮らしている——果樹園にやってきたことで、彼女の生活はどんどんかき乱されていくことになる。ヤンはアンナが絵を描くことをやめてしまったことを残念に思っており、ことあるごとに絵を描くことを勧める、陽気で気のいい人懐こい人間だ。アンナはヤンとの生活と交流に人間との関わりという希望も見出すものの、作業を手伝うがほとんど居候であるヤンに苛立ちをつのらせていく。

 三人称視点の中に、だいたいはアンナ、たまにヤン、ギル、タマラの意識が語られる。その交代のなかで、それぞれの人物や環境に対する見方が少しずつずらされていくのもおもしろい。アンナは言葉から解放された、神秘的な自然と一体化できる場所と果樹園をみなしているけれど(祖父がつけた果樹園の看板も彼女はすぐにとってしまう)、ヤンの視点からの語りでは、車ですぐのところにガソリンスタンドやらスターバックスがある、「ほどよい」自然だということも明かされる。

 果樹園を商業として成功させることや、ヤンやタマラをはじめとした人々との関わりなど、いろいろなことがうまくは解決しないうちに、小説はふと終わってしまう。正直、もっと読んでいたいと思ったし、最後数ページで、ここで終わってしまうのか、という驚きもあった。果樹園が今後成功するとも失敗するともわからない結末だけれど、実際的には失敗に傾きそうとも読める。

 アンナは人と関わるたびに後悔し、母親とビデオ通話しても、他人を生活に介入させてしまったと落ち込んでしまう。それでも果樹園をやっていくためには手伝いを雇い、病に侵された果樹の調査を大学に頼み、市場にりんごを売りにいかなければならないという日々を「眉をひそめ(frown)」ながら送っていくさまは胸を打つものがあった。ヨークシャーのムーアで暮らすメアリとコリンのようにすべてが解決するわけではないけれど、わたしたちはそうやって生きている。『秘密の花園』をかつて愛読した大人にこそ、読んでほしい一冊だと思う。

Austyn Wohlers, Hothouse Bloom. Hub City Press, 2025.